こんにちは。全国健康生活普及会 本部 上村です。
気がつけば2月も半分が過ぎようとしています。皆様、ご多忙のことと存じ上げますが、インフルエンザ等流行っておりますので、体調管理にはお気をつけください。
話は変わりますが 初級カイロ事業セミナーや役員会議の移動で何度も瀬戸大橋を往復しました。なんとなく通っていたこの瀬戸大橋なのですが、さまざまな苦悩や挫折 逆境を乗り越えて作られた 悲願の橋でもあります。その建設の指揮を行った人物 その仕事に対する誠実さ その不屈のドラマを見て、身が引き締まるような思いになり 今回のお題といたしました。
昭和三十年 一隻の船が連絡船と激突し、多くの命が失われたことから、瀬戸内海に橋を架けるようと四国の人々は思うようになります。
その15年後、本州四国連絡橋公団(本四公団)が設置されます。その本四公団の所長が今回のドラマの主役です。
瀬戸大橋は 道路と線路の二つになり、土台は海底50m設置。その当時世界でも前例のない難工事であり、数々の難工事を指示してきた男であるこの所長が選ばれました。
この所長どんな人かといいますと 一言でいえば 仕事に対し誠実な男です また家族を何よりも愛するそんな人だったそうです。所長は自ら瀬戸大橋の海底に潜り潮の状況や流れを知るために、潜水士の資格を取り訓練を重ねたといいます。
所長という立場であるならば スーツに用意された社用車での出社、というのが当たり前でありましたが、瀬戸大橋建設の体力をつけるためと作業服に工事靴自転車での通勤ととても所長とは思えない格好での出社だったといいます。
役員会議で ある先生がおっしゃられた言葉があります
グループの先生方は 自分の背中を見ています。だから自分は進んで良い行動を起こすようにしています。
この所長はまさにそれを体現した姿であるといえるでしょう。所長は あれをしろ これをしろと 命令はせず 自ら進んで行う男です。また、仕事場では常に前向きであり、負の感情を見せはしなかったそうです。部下はその姿に強く魅せられ、強制をしていないのにも関わらず同じように自転車通勤 潜水士の免許を進んでとられたそうです。
瀬戸大橋建設には、土台を設置するために地ならしを行わなければなりません。そのためには海底での爆破が必要になります。
しかし、その爆破検査の結果、漁場に多大な影響を与えるというデータが取れました。瀬戸内海は漁場の豊かなところです。そのデータの公表は漁師の反感を買うことになり、それは工事の進みの滞りを意味します。
ですが 所長はすべてのデータを一切の改変を行わず 真っ先に漁師に伝えます。気象の荒い漁師です。胸倉をつかまれ 罵声を浴びせられながらも所長は工事の協力を仰ぐよう穏やかな口調で説明を繰り返します。
その交渉の数 なんと500。
私なんかは1度か2度失敗するだけであきらめてしまうだけに、この数は衝撃的です。
やがて、その人柄に惚れ、漁師たちは工事に協力するようになったそうです。
しかしここでまた問題が発生します。所長の妻が病床に倒れたのです。また、彼の家族には3人の幼い娘もいます。
家族を愛する男です。そして、仕事に誠実な男でもあります。彼は、仕事が終われば泊まり込みで妻の病室で身の世話を行い、仕事に向かう日々を繰り返します。
瀬戸大橋建設と家族の世話、並大抵のことではございません。しかし彼は部下に弱音や泣き言を見せず誠実に仕事に打ち込み続けました。
妻が亡くなり、彼は一日だけ休みます。その時初めて部下は所長の妻が病床に伏していたこと、そして亡くなったことを知ったそうです。
瀬戸大橋の完成には 約10年の年月がかかったそうです。
所長はその後、新たな現場での指揮を熱望されますが、それを断ります。
彼は、3人の娘の身の回りの世話を行い、立派に育て上げ、62歳の生涯を終えました。
彼は最後まで 再婚や昇進は望まなかったそうです。
彼の生き様を見ると、身がしまる思いになります。厳しい状況の中、弱みは決して見せず、前向きにふるまう。いかなる逆境でも屈せずあきらめない。最後まで誠実に仕事をやりきる。
文章に書けば楽に見えますが、実際にやるには一筋縄ではいかないでしょう。だからこそ、彼に人はひきつけられたのかもしれません。
以上、瀬戸大橋建設のお話でした。